高知地方裁判所 昭和36年(わ)468号 判決 1963年4月24日
被告人 嶋村哲平
昭四・四・七生 小学校教諭
主文
被告人を懲役二月に処する。
この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、室戸市佐喜浜小学校の教諭であるところ、室戸市教育委員会が文部省及び高知県教育委員会より昭和三六年度における小学校児童の学力の実態をとらえ、学習指導、教育課程および教育条件の整備改善に役立つ基礎資料を得るための学力調査を実施し、その結果の報告の提出を求められたので、その指示に従い、所定の学力調査の実施を決定し、管内の右佐喜浜小学校については、同校校長山上基を実施責任者とし、同校教諭久保喜重外二名を学力調査補助員としてそれぞれ任命し、同年九月二六日午前一〇時から約一時間の予定で国語の学力調査を実施することとしたのであるが、被告人は右学力調査補助員久保喜重が担当していた国語の学力調査の実施を阻止する目的で、同日午前九時五〇分頃同校職員室北側出入口附近廊下において、同人が携行していた小学校国語調査問題用紙四二部をその後方より「久保さん貰うぜよ」と声をかけ、いきなり同人の手からこれをもぎとり、同日午前一〇時過頃までの間これを被告人担任の同校三年B組教室内に持ち去つて戸棚に置きさらにその上に画用紙を置いて隠匿し、よつて右久保担当の国語学力調査の実施を不能ならしめ、もつて同市教育委員会の用に供する文部省作成の小学校国語問題用紙四二部の文書を毀棄したものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人らの主張に対する判断)
一、正当行為論について
弁護人橋本敦、同小牧英夫は、本件学力調査は手続的にも実質的にも違法不当なものであり、被告人の行動は憲法と教育基本法によつて保障せられた教育の自由と独立を守るためやむを得ずしてなされたもので、その目的において正当であつたばかりでなく、手段においても必要性、緊急性、相当性を具えているから、被告人の行動は刑法第三五条の正当事由ないし超法規的違法阻却事由がある旨主張するので、次下これらについて検討する。
(一) 本件学力調査の手続上の違法性について
弁護人らは、本件学力調査の施行者は文部省であることは明白であり、文部省は地方教育の組織及び運営に関する法律(以下単に地教行法という)第五四条第二項によつて教育委員会に対し学力調査を命ずる権限を有しないから、同法条に基く本件学力調査には手続上の違法がある旨主張するので考えてみるに、前掲各証拠を綜合すると、文部省では、昭和三一年度以降各都道府県教育委員会に対し、全国の公立小学校の児童を対象として全国学力調査の実施を依頼し、その調査結果の報告に基いて児童の学力の実態を把握するとともに、学習指導、教育課程および教育条件の整備改善のための基礎資料を得ていたこと、文部省が昭和三六年四月一五日附書面で各都道府県教育委員会に対し、同年九月二六日における全国公立小学校のうち約四パーセントについて学力調査の実施を依頼し、その結果の報告の提出を求めたこと、高知県教育委員会が室戸市教育委員会に右依頼に基く実施の結果報告の提出を求め、同市教育委員会が文部省の「昭和三六年度学力調査の実施要領」に基いて管内各小学校の学力調査の実施を決定し、同年八月三〇日附書面で管内各小学校長宛その旨通達していること、同市教育委員会が佐喜浜小学校におる学力調査実施責任者を同校々長山上基とし、学力調査補助員を同校教諭久保喜重、同山下勉、同宮崎栄子としてそれぞれ任命していること、右学力調査は文部省作成の資料に基いてなされることになつていたこと、右実施に際しては同県教育委員会同市教育委員会においてそれぞれ説明会が開かれ法的根拠についても説明がなされていることの各事実が認められる。ところで、地教行法第五四条第二項には、文部大臣は教育委員会に対し、都道府県教育委員会は市町村教育委員会に対し、それぞれ都道府県又は市町村の区域内の教育に関する事務に関し、必要な調査、統計その他の資料又は報告の提出を求めることができる旨の規定があり、同法第二三条第一七号には教育委員会は教育に係る調査をなし得る旨の規定があり、同法第四三条第一項第二項には市町村教育委員会は、県費負担教職員の服務を監督し、同職員はその職務を遂行するに当つて、法令、当該市町村の条例及び規則並びに当該市町村教育委員会の定める教育委員会に従い、かつ、市町村教育委員会その他職務上の上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨の規則及び規程がある。そうすると、文部省は高知県教育委員会に対し、又同県教育委員会は室戸市教育委員会に対して、それぞれ同法第五四条第二項の規定により、高知県又は室戸市の教育に関する事務である学力調査の結果の報告を求め得るし、その際右報告書作成に当り文部省は同法第四八条第二項第一〇号により必要な指導及び助言ができるのである。室戸市教育委員会は右県教育委員会の報告提出命令に対して、同法第二三条第一七号の規定により、その権限に属する管内の小学校における学力調査を、その指示にかかる本件国語調査問題に基いて執行し、その結果を県教育委員会に報告すべきものである、右市教育委員会が報告作成のための学力調査を管内の佐喜浜小学校において実施するのは、その権限に属する学校管理事項であつて同校の校務となるから、同委員会は同法第四三条第一、二項により同校校長及びその教員たる久保外二名に対し調査責任者及び調査補助員となす職務命令を発して、学力調査を実施させることができるものである。以上説示のとおり本件学力調査の手続には何等の違法はない。
(二) 本件学力調査の実質的違法性について
(1) 弁護人らは、本件学力調査のように国語、算数という二科目だけのしかもきわめて限られた設問によるペーパーテストによつては児童の綜合的な学力の実態をとらえることは不可能であるばかりでなく、学力に影響を与える学校設備その他の諸要因も全くつかめないから、文部省の目的とする学習指導、教育課程および教育条件の整備改善に役立つ資料は得られない旨主張するので考えてみる。文部大臣は、小学校の教科に関する事項を定めることができ(学校教育法第二〇条第一〇六条)、この規定に基き学校教育法施行規則第二四条ないし第二八条に小学校の教科、授業時数、教育課程の基準(小学校学習指導要領、昭和三三年一〇月一日文部省告示第八〇号、文部省設置法附則第六項)等を定め、都道府県教育委員会又は市町村教育委員会に対し、教育に関する事務の適正な処理を図るため、必要な指導、助言又は援助を行い(地教行法第四八条第一項)、学校の管理並びに整備に関し、又学校の組織編制、教育課程、学習指導、職業指導、教科書その他の教材の取扱その他学校の運営に関し、指導及び助言を与えること(同条第二項第一号第二号、これらの事務が教育委員会の管理に属することにつき同法第二三条ができる旨の規定があり、さらに教育行政機関は、適確な調査、統計その他の資料に基いて、その所掌する事務の適正かつ合理的な処理に努めなければならない旨の規定がある。右各規定によると、文部大臣が小学校の学習指導、教育課程の基準を定め及び教育条件の整備改善に立つための基礎資料を得て、それらの合理的判断に基いて、都道府県及び市町村教育委員会に対し、教育に関する事務の適正な処理を図るため、必要な指導、助言、又は援助を行うことは教育行政上極めて重要な事項であり、これらの権限の行使が適確な調査、統計その他の資科に基いて行われなければならないことは当然で、そのためには全国小学校児童の学力の実態を調査する必要があるといねばならない。ところで、小学校は心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とし(学校教育法第一七条、その目的を実現するための目標につき同法第一八条)、小学校における教育は国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭及び体育等の各教科について行われるものである(学校教育法施行規則第二四条)ところ、本件学力調査は小学校第六学年について国語、算数の二教科だけにつき実施されたものであるから、弁護人ら主張のように同学年の児童の綜合的な学力の実態をとらえることには困難な点があるといえよう。しかし本件学力調査が全国小学校児童の綜合的な学力の実態をとらえ難いからといつて直ちに本件学力調査によつては、前記文部省の所期する目的にそわないとはいえない。すなわち、文部省が全国小学校児童の全教科について綜合的な学力の実態をとらえ、これを前記目的の資料とすることは好ましいことではあるが、このような完備した調査には予算の措置その他行政上多くの困難を伴うことが考えられるから、まず学校設備その他の教育条件によつて比較的差が少ないと考えられる国語、算数の教科について適切な問題を作成して、これを行なえば児童の学力の到達度につき、相当程度の測定をすることは可能であつて、文部省がその結果を前記目的の資料に供することは教育行政上妥当な措置といわざるを得ない。したがつて、この点についての弁護人らの右主張は理由がない。
(2) 弁護人らは、本件の一斉学力調査は従前の抽出調査に比較してなんら前進的意義をもたないばかりでなく、文部省の真意は政策的な意図にあり、教育投資論から導きだされる人材開発計画の一環をなすもので児童個人を評定するいわゆる選別テストであるから違法不当である旨主張する。しかしながら、文部省調査局長田中彰作成の昭和三六年度小学校、高等学校学力調査の実施についてと題する書面の写によると、本件学力調査は全国公立小学校第六学年のうち約四パーセントについてなされた抽出調査であることが明らかであるから、文部省が弁護人ら主張のような意図に基いて本件学力調査の実施を依頼したものとは認められない。もつとも、前掲各証拠によると、室戸市教育委員は管内公立小学校全校について本件学力調査の実施を決定し、これを実施したことが認められるが、これをもつて同市教育委員会が弁護人主張のような政策的意図のもとに本件学力調査を実施しようとしたものとは認められないし、又他に学力調査の結果を悪用しようとしたことを認めるに足りる証拠はない。したがつて、本件学力調査が全国小学校児童に対する一斉調査であることを前提としてその違法性を主張する弁護人らの右主張はその前提を欠き理由がない。
(3) 弁護人らは、本件学力調査の強行実施は教育基本法の教育精神をゆがめ、児童や父兄に悪影響を与え、教師の教育権を侵害する違法不当なものである旨主張するので考えてみる。教育基本法は、その前文で教育の理念を宣言し、第一条及び第二条で教育の目的及び方針を明らかにし、教育は、不当な支配に服することなく国民全体に対し直接責任を負つて行われるべきものである(第一〇条第一項)旨規定している。ところで、学力調査がテストである以上、児童や父兄に対し多少の心理的緊張を与えることは当然考えられるけれども、本件学力調査が前記のように全国公立小学校のうち約四パーセントを抽出して行われようとしたものであるから、これをもつて直ちに教育に対する不当な支配であるとは考えられないし、同法第一〇条第二項は、教育行政における、教育目的達成上必要な諸条件の整備確立を規定しているものであるから、教育行政機関が或時期における全国小学校児童の学力の水準を測定し、具体的な教育諸条件との相関々係を明らかにしようとすことは、むしろ当然であつて、これをもつて教育権に対する侵害とは考えられないし、他に本件学力調査が教育権を侵害したと認めるに足りる証拠はない。ただ本件学力調査が国語、算数の二科目についてのみ施行されたため、弁護人主張のように右二科目教育の遍重を助長する虞がないとはいえないが、しかし、前記のように僅か四パーセントの規模程度の実施では、教育方針に重大な支障をきたすとはいえないであろう。
(三) 本件学力調査に反対した教師の目的の正当性、手段の必要性、緊急性、相当性について弁護人らは、本件学力調査があやまつた学力観に立ち教育基本法に示された教育精神をゆがめ、児童の学習意欲を喪失させ、えいえいとして築きあげられた民主教育の土台をゆさぶり、結局児童を人材開発の犠牲にするものであるということを自からの教育実践を通じて看破し、教育に対する不当な支配であるとの自覚のもとに、これを排除しようとして立ちあがつた被告人らの目的は正当であつたばかりでなく、右調査は教育に対する不当な支配である以上、すみやかにこれを排除する必要があり、又被告人の行為によつて違法な本件学力調査が実施されなかつた以外に他にいかなる法益も侵害されていないから、本件行為の目的は正当であり、その手段においても必要性、緊急性、相当性を具えている旨主張するので考えてみる。弁護人の右主張は、要するに、学力調査それ自体の失当というよりは、教育行政機関が学力調査を強行することにより、又その調査結果を利用して、民主教育を不当に支配するものであるとの政治的見地からの非難ともいうべきものであるが、文部省や教育委員会がこのような目的のもとに本件学力調査を実施し、その結果を利用する意図があつたとの確証はない。本件学力調査の実施が手続的にも実質的にも違法でないことは前記説示のとおりである。ところで、前掲各証拠を綜合すると、被告人が本件所為に及んだのは、室戸市教育委員会が本件学力調査の実施を決定し、判示の如く実施責任者及び調査補助員三名を任命し、さらに調査の立会人を同市教育委員谷岡善吉と定めたが、これに対し室戸市教職員組合佐喜浜分会(分会長は被告人)は学力調査についての問題点を検討したうえ、右調査には反対の立場をとり、本件学力調査の実施前日である九月二五日まで同市教育委員会、同校校長山上基、児童の父兄との間で数回に亘つて話合や説明会が開かれたが結局学力調査は中止されるに至らないまま同月二六日を迎えた。同日朝佐喜浜分会の関川良昌と校長山上基及び調査立会人谷岡善吉との間で学力調査の実施について話合がもたれたが、その際右谷岡から「学力調査を止めるのは調査補助員三名が拒否するのが一番良い、その場合三名の行政処分もそう重くはないであろう、自分の方としても教師の反対を押し切つてまで学力調査を強行する意思はない」旨の話があつた。そこで、右関川は同分会の組合員らに対し交渉内容を報告すると共に調査補助員三名が調査を拒否すると行政処分を受けることになる。しかし調査に反対しているのは同分会の組合員全員であるから、調査補助員三名は調査を実施するように見せかけて校長より調査用紙を貰い受け、それを途中で右三名から同分会が預るということで同用紙を受取つて学力調査を中止させてはどうかという提案があり、調査補助員久保喜重を除いた外の分会員はこれに賛成し、これを決めた。そしてこれに基いて被告人は判示の如く右久保の手より同人の意思に反して調査用紙をもぎとりこれを隠匿したもので、その際右久保は右用紙を被告人に渡す意思がなかつたことが認められる。そうだとすると、被告人の本件手段は、本件学力調査を実施するように見せかけ、途中でこれをもぎとつたことになり、健全な社会通念に照らし許容できないところである。したがつて、被告人において主観的には不当な支配から教育を守る目的であつたとしても、右手段方法の点において必要性、緊急性及び相当性のいずれをも具えない失当のものという外はない。そしてまた、被告人の判示所為によつて失われた被害法益についてみても、被告人の主観的な教育権を守る利益よりも、むしろ重大であるといわねばならない。したがつて、右いずれの点よりみても、弁護人らの右主張は理由がない。
二、刑法第二五八条の構成要件不該当論
弁護人らは、本件学力調査用紙は刑法第二五八条にいう「文書」たるの要件を欠如するばかりでなく、「公務所の用に供する文書」にも該当しないし、又被告人の所為は同条にいう「毀棄」にもあたらない旨主張するので、特にこれらの点について判断する。
刑法第二五八条にいう文書とは「文字又ハ之ニ代ハルベキ符号自体ニ依リテ表示セラルル思想ノ記載ニシテ証明ノ具タルベキ書類タルコトヲ要スル」(大審院判例昭和一一年七月二三日刑集一五巻一、〇七八頁)が、押収してある小学校国語調査問題用紙(昭和三七年押第四〇号の一)をみると、同用紙は八枚一綴になつているもので、その二頁は何等文字又はこれに代わるべき符号による記載自体がないので、この部分は文書とはいえないが、他の部分はすべて児童に対する設問の形式により文字によつて一定の観念を表示し、調査対象者たる児童の答えの記載を待つまでもなく、それ自体で独立の思想を記載していることが明らかであり、又右用紙の作成者が文部省であることもその記載から明白であるから同用紙は教育行政庁が教育行政行為(教育に係る調査)を表現した行政文書であつて、同法第二五八条にいう文書に該当すること明らかである。
次に右小学校国語調査問題用紙が公務所の用に供するいわゆる公用文書であるかどうかについて考えてみるに、室戸市教育委員会が公務所であることは刑法第七条により明らかであり、同市教育委員会が本件学力調査の実施を決定し、昭和三六年九月二六日午前九時五〇分頃室戸市佐喜浜小学校において、同調査実施責任者山上基校長より調査補助員久保喜重教諭に対し右問題用紙四二部が交付せられ、これに基いて同日午前一〇時より学力調査が実施されようとしたものであることは前記認定のとおりであり、本件学力調査が手続上は勿論実質的にも何等違法なものでないことはこれまた前記認定のとおりである。したがつて右問題用紙は室戸市教育委員会がその事務として行う学力調査の報告を作成するため、現に使用するいわゆる公用文書であることは明らかである。
そこで進んで被告人の本件所為が同法第二五八条にいう毀棄に該当するかどうかについて考えてみる。ここにいわゆる毀棄とは、文書の効用を害する一切の行為を云い、有形力の行使により物理的に毀損する場合のみならず、これを隠匿して、その使用を不能にすることも文書の毀棄にあたることは既に判例の認めるところである(大審院判例昭和九年一二月二二日、刑集一三巻一、七八九頁、同昭和一二年五月二七日刑集一六巻七九四頁)。前掲各証拠を綜合すると、本件国語の学力調査は午前一〇時から実施され、最初の一〇分間か一五分間は全国共通のラジオ放送によるものであつたこと、被告人が本件学力調査の実施を阻止する目的で、調査補助員久保喜重の手から小学校国語調査問題用紙をもぎとり、こを判示の如く隠匿したため、右国語の調査開始時間である午前一〇時を過ぎ、その調査が不能となつてたことが認められる。したがつて被告人の判示隠匿行為により、本件国語調査問題用紙の使用を不能にしたことが明らかであるので、本件所為は同法第二五八条にいう毀棄に該当するものといわねばならない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第二五八条に該当するが、犯情を考慮し、同法第六六条第七一条第六八条第三号により酌量滅軽をした刑期範囲内で被告人を懲役二月に処し、情状により同法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人に負担させることにする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 呉屋愛永 越智伝 山口茂一)